ノーミスでは勝ち残れない
大学職員の面接試験を受ける中で、特にミスもしてないのに落ちた、
このような経験はありませんか?
どこが悪かったんだろう、何をミスったんだろう、
さっぱり理由が分からない。
とりあえず、大学が求める人材像と違っていたんだなと諦めるパターンです。
さて、ここに面接における致命的な誤解があります。
「どこが悪かったんだろう」というような減点方式の発想は、
若干名募集の採用試験では通用しません。
1つか2つの椅子を巡って、数十から数百名の応募者が殺到しているのです。
減点方式で面接をしていたら、面接を何回繰り返しても絞り込めません。
面接会場に集まった多くの応募者を見て、この中で1番になるんだと腹をくくらなければなりません。
他の応募者もそれなりに準備をして面接に臨んでいるでしょうから、
その数十名の中で1番になるのは容易ではありませんが、
どのみち1番にならなければ若干名募集で内定は獲れないのです。
しかし、一度腹をくくれば怖いモノはありません。
1次面接で落ちたらどうしよう、2次面接で落ちたらどうしよう、そんな些細な悩みから解放されます。
最終選考を通らなければ意味がないんだという覚悟があれば、実に堂々とした心境で面接に臨むことができます。
恐らく、大半の応募者は、1次や2次面接をパスすることに必死です。
60名が面接を受けるなら、上位25番には入りたいな、その程度の低いハードルと戦っています。
そして、かろうじて1次面接を通過できたとしても、当然のように2次選考で脱落するわけです。
1次面接での評価を前提に2次面接を行っているわけですから、当然の結果と言えるでしょう。
最終面接を除き、面接を通過するか否かは問題ではありません。
上位(できれば1位)で通過できるかが重要なのです。
短所を隠す必要はない
就職活動の金言としてよく言われることですが、自身の短所を長所に変えることは、面接試験において非常に重要です。
短所や欠点は長所より遥かに目立つため、隠そうにも隠しきれません。
人前で話すのが苦手な方であれば、どんなに外交的な性格を演じたとしても、その本性はすぐにバレてしまいます。
積極性が欠けている方であれば、どんなにリーダーシップを演じたとしても、その裏付けとなる行動が伴わないため、まったく信用されないでしょう。
重要なので繰り返しますが、短所を「隠す」「ごまかす」は得策ではありません。
一方で、性格上の短所というものは、必ずしもネガティブに考える必要はありません。
短所も長所と同じく個性の一つであり、魅力的な短所のことを「個性的」と言ったりもします。
「個性的」も良かれ悪かれの両面がありますが、数百倍の高倍率を勝ち抜くためには、どんな個性も無いよりマシです。記憶に残らない「フツー」という印象が最も良くない。
また、積極性の欠如は慎重さの裏返しであるように、短所と長所は表裏一体だったりもします。
短所だけにスポットを当てるのではなく、短所と同居する長所に着目しましょう。
自身の短所にコンプレックスを抱えるばかりでは、面接会場でも本能的に「隠す」「ごまかす」という行動につながってしまいます。
たとえ短所を「隠す」ことに成功しても、プラマイゼロの状態になるだけですから、どのみち内定には繋がらないでしょう。フツーという印象は、何の加点にもなりません。
冒頭で「短所を長所に変える」と書きましたが、より具体的には、「個性的で見どころのある自分をプロデュースする」ということです。
積極性の欠如を自覚しているなら、それは真面目さや慎重さの裏返しかもしれません。
日々の生活やこれまでの人生を振り返って、「自分って真面目だなー」とか「ホントに慎重だよなー」と思えるような体験を探してください。
提出書類は3回チェックしないと気が済まないとか、小学校時代に皆勤賞を貰ったとか、いろいろ思い浮かぶはずです。
そうした裏付けを踏まえて、「勤勉でリスク感覚に長けた人材」としてセルフプロデュースすればよいのです。
すでにお気づきと思いますが、この思考過程は自己分析とまったく同じですね。
経験値を増幅する自己分析
面接にはテクニカルな方法論も存在しますが、最も重要なのは自己分析です。
自己分析と聞いて、結局は一般論かと馬鹿にしないでください。
自己分析というのは単なる過去の振り返りではありません。
自身の経験値を2倍にも3倍にも増幅させる作業です。
就職活動のバイブルとも言える「絶対内定」という本があります。
年末になると書店に平積みになるので、ご存知の方も多いでしょう。
そこで最も重要視されているのが自己分析です。
この本を表面的に読むと、「ボランティアに打ち込んだ」とか「海外を放浪した」など、いかにも学生的な自己満足が並んでいます。
私も新卒時代に書店で流し読みし、馬鹿馬鹿しくて買うのをやめました。どうせ事実1割、ウソ9割だろうと思ったわけですね。
しかし、自身の就職活動から10年以上が過ぎて、自己分析に対する考え方がかなり変わってきました。
自己分析とは事実の脚色ではなく、経験値を増幅させる作業であると。
例えば、「アルバイト先の商品配置を変更した」という事実に対して「売上がアップした」というウソを付け加える不毛な作業ではなく、「自分は非効率な運営に対して改善意識を持つことが思考の原点にあり、それが商品配置の変更という行動につながった」という具合に、自分自身の人間性や心理の深層を探究する作業なのです。
実体験とは行為そのものであり、人間活動の表層にすぎません。
そこを掘り下げて、自分自身の根源や核心へと迫ることができれば、実体験以上の経験値を得ることができるはずです。
一般個人の実体験など、所詮はたかが知れています。
そんな事実をありのままに語っても、他人は関心を持ちません。
数十名が参加する面接試験で1番になるためには、
凡百な経験をありのままに語るようではいけません。
実体験を分析し、行動の奥底にある人間性や行動原則を探求し、一つ一つを文字や言葉に置き換えていきましょう。
それを面接官にぶつけてやるのです。
これこそ本物の自己分析です。
このように、自分自身に真剣に向き合った人と、単に事実を脚色(虚飾)しただけの人とでは、言葉の持つ説得力や迫力が違います。
この違いが理解できれば、難関試験のハードルが一気に下がることを実感できるはずです。
自ら考える力
面接テクニックとは少しズレますので、あらかじめお断りしておきます。
ただ、これを面接で実行できれば、恐らく全業界において万能だと思います。
さて、大学職員に限らず、一般社会が最も渇望する人材とは何でしょう。
それは「自ら考える人」です。
大学職員や民間企業の総合職は、日々の業務をこなすためだけの労働者ではありません。
ゆくゆくは経営全体を支える幹部候補にならなければなりません。
その経営幹部に必要な素養こそ、まさに「自ら考える力」なのです。
これは大企業でも零細企業でも大学でも変わりません。
特にキャリア採用においては、どれだけ「考える力」を持っているかという一点を問われているといっても過言ではないでしょう。
このことは、企業や大学が新卒で採用した若手職員を経営幹部として育成できなかったことの裏返しでもあります。
パソコンも書類作成も一通りできるようになったけど、いまいち経営者としての能力を期待できないということです。
誤解を避けたいのですが、単なる「工夫」と「考える力」は全く別モノです。
何年か社会人経験があれば、難しい課題に対しても、自ら解決策を考え、達成してきたことでしょう。
しかし、それは単なる工夫すぎません。
ジャガイモの皮を100個剥けば、誰でも皮剥きのコツを覚えます。
それと同じようなものです。
「考える力」とは、なにを考える能力なのか?
問題や課題をどのように解決するか、そういうことではありません。
いま何が必要とされているかが重要?・・・これも50点です。
大切なのは、「これから何が求められるか」です。
考えるということは、まさに経営的な視点があるかということあり、それはすなわち自分なりの未来像を持っているかということです。
大学業界に限らず、社会全体でこのような「自ら考える人」が不足しています。
仮にも総合職的なポジションで入社した若手たちの多くですら、何年経っても、30歳を過ぎても、目の前の仕事のことしか考えないのです。
とはいえ、20代や30代の前半では、経営的視点を持てるような実務経験は少ないでしょう。
せいぜい、ちょっとしたチームリーダーをこなすくらいです。
しかし、実務経験など全く不要です。
将来経営を担う優秀人材は、経営実務の経験など無いうちから経営的視点(=未来的視点)で物事を考えているからです。
さて、こうした考えを面接に活かすならば、まず何をするかを明示します。
その後で、なぜそれが必要なのか、日本という国や大学が置かれている状況を踏まえて、必死に語ってください。愚直に語ってください。
これこそ経営であり、「考える人」の行動です。
あなたは大学で何をしますか、という面接での質問は、業界の将来予想を聞かれているのと同じです。
情報化でも図書館でも、テーマは何でも構いません。
たとえば、図書館業務をテーマにするのであれば、グーグルや国会図書館が推進している書籍の電子化を前に、図書館の存在意義を問われる時代がすぐそこに迫っているでしょう。
図書館が単なる自習室に堕落してしまうのか、それとも新たな価値を見出せるのか、そこが問題になるのです。