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なぜ大学職員による「ダイガクイン通い」は同業者から嫌われるのか?

ちなみに、ダイガクイン通いについての自分のスタンスは、昔ちょっと考えたこともある、という感じです。大学院通学に水を差す気もないし、興味が無い人にお勧めする気もありません。

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そんなことやっても無駄、という業界人的な諦観

はい無駄。そんなの無駄。

大学事務として10年程度の経験がある人であれば、大学組織の力学は知識や理屈とは別モノであることを、経験や肌感覚で身に沁みていることと思います。

教育政策の動向に詳しいとか、大学設置基準などの法令に明るいとか、補助金実務を習熟しているとか、その程度の「小知恵」を身につけただけでは、大学組織の意思決定に近づくことすらできません。

君の私見は、必要ナイ。

大学組織が求める人材は常に「既決事項の遂行者」であり、あるべき論による頭脳指南が求められることは、まず無い、と言ってよいでしょう。大学上層部には「あるべき論の重鎮」が何人もいて、なるほど彼らは学内全方位からの報告を受けるポジションにあるため、彼らの意見の最大公約数が大学ガバナンスだというのも、まんざら間違いではないとは思います。

そういうわけで、無駄な汗と血を流すのはやめておきなさい、そんなことやっても無駄、というのが、ダイガクインに冷笑を浴びせる人たちの心情の一つでしょう。この手のタイプは、勤務年数の長いセンパイ職員に多そうです。

「勉強しろ」とか言うくせに。。

大学上層部の人々は、訓示のように勉強しろと言いますが、それは「良き遂行者」になるための勉強であって、大学の意思決定に口出しする「知恵者」を求めているわけではありません。

実際のところ、教育政策の動向に詳しいとか、大学設置基準などの法令に明るいとか、補助金実務を習熟しているとか、その程度の「小知恵」を身につけただけでは、大学組織の意思決定に近づくことすらできません。

実は単なる「仕事嫌い」だったりする仕事優先主義

意識高い系潰しのための仕事優先主義。

ダイガクインに限った話ではなく、いわゆる「意識高い系」に対して世間は冷たいですね。「意識だけ高い」とか、「自意識が高い」とか、意識高い彼らが飽きて三日坊主になるのを「それみたことか」と涎を垂らして待ち構える、これが自らの意思で学び行動しようとする人々を取り巻く環境なのだと思います。

そんな彼らの決まり文句は、、、

「勉強より、まずは仕事してね」

これです。

これ言われたら「なんも言えねぇ」です。

勉強どころか、本も読めない。

ただ、自身の経験から一つ確認しておきたいのは、「勉強より仕事」なんて言ってる人の十中八九は仕事嫌いですね。仕事が嫌いだから、仕事以外のことをする人も許せない。この手のタイプは、同年輩か、少し年長の管理職に多そうです。

おいおい教員の真似事かよw、という自虐的賤民意識

ワレワレハ、ジムショクインデアル。

大学職員の仕事とは、完全に「事務」かというとグレーな部分もあり、小中高では当然のように教員がやるような仕事(例えば生活指導とか保護者対応)も、大学では事務職員が行います。

そういうわけで、「自分は教育の一端を担っている」という気持ちが自然発生的に芽生えるのも至極当然な環境にあり、実際のところ、学生をノートラブルで卒業させるには、そうした事務職員の活躍が不可欠だと私見ながら考えています。

そんな彼らの足を引っ張るのは、いつだって「俺たちは事務職員なんだよ、ジムジム!」という自虐的な賤民意識です。教員と事務職員との線引きに敏感な大学組織では、職員がダイガクインに通おうものなら、「教員の真似事でも始めるのか?」と白い目で見る人も(2割くらいは)いるでしょう。

ブロガーは研究に向いてるかもしれない(能力の有無は別として)→辞めた瞬間終わる

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