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大学職員とプロ意識に関する考察

大学職員はもちろん、会社勤めの方であれば、職場や研修会などの場で、一度ならず「プロ意識を持て」と言われたことがあるかと思います。 「プロ意識を持つ」という言葉を、我々は当たり前のことのように受け止めてしまいがちですが、どうも本来の「プロフェッショナル」とは全く別の意味で喧伝されているのではないか、そのようなことを私は以前から考えてきました。 そこで今回は、プロ意識とは何かという点について大学職員の視点から考察を加えてみたいと思います。

さっそくですが、「プロ意識」という言葉から、どのような意味を想像するでしょうか。私自身のイメージですと、正確さや精密さ、完璧さ、責任感、全力投球などを連想します。「お金をもらったらプロ」と言う人もいますね。だいたいそんなところかと思います。 サラリーマンであれ大学職員であれ、特に事務作業は正確でなければなりませんし、当然のこと責任感が無ければ信用を得られません。 「お金をもらったらプロ」というのは義理人情的な解釈のような気もしますが、法律的にもお金を受け取ると(受け取らない場合よりも)責任が増すので、まあ良しとしましょう。

そういうわけで、仕事において「プロ意識」を持つことは必要だと思うのですが、はたして責任感を持って全力投球で正確に仕事をこなしていれば「プロ」として合格なのでしょうか。そのような意味での「プロ意識」を持って働いていれば、組織としても望ましい結果を得られるのでしょうか。 それはちょっと安直ではないかと思います。いまや春に苗を植えれば秋に米が売れるというような時代ではないのですから、いくら真面目に汗をかいたとしても、先々の見通しが悪ければ、まったく商売になりません。 上記のような意味での「プロ意識」というのはスローガンとして低次元であると思いますし、事業の下降局面では下り坂を全力で駆け下りるような結果にもつながりかねません。

少し脱線しますがお許し下さい。「業務スーパー」というスーパーマーケットをご存知でしょうか。他店とは異なる品揃えで、とにかく安値、飾り気の無い店内が特徴で、お店のキャッチフレーズには「プロの品質とプロの価格」を掲げています。本部は関西ですが関東にも進出しているので、実際に利用したことのある方もいらっしゃるかもしれません。 上述のとおり、業務スーパーでは「プロ」の定義として「品質」と「価格」を掲げています。品質だけではプロとは言えない、価格だけでもプロとは言えない。品質と価格のバランスをとってこそ商売を成功に導く、そうしたプロ論を端的に現したキャッチフレーズであろうと思います。

一方で大学業界におけるプロ論とは何かと考えるに、そもそも大学をひと括りにはできないという問題があります。東京大学におけるプロ論と、地方私立大学におけるプロ論とでは、目指すべき成功モデルが全く違ってくる。それぞれの成功モデルに応じたプロ論があるのではないかと思います。言うまでもなく大学のビジョンと密接に関わるものでありましょう。 低い次元でプロ意識を語ってしまうと、本当に大切な、自らの事業を成功に導くという本来の「プロフェッショナル」を見失ってしまう、成功へのビジョニングこそがプロフェッショナルの原点ではないか、そういうことを考えています。

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