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研修なんて受けたくない立場からの研修に関する考察

読者の方より日経新聞の記事「大学職員、研修進まず 法務や会計 全員参加6.6%どまり 」をご紹介いただいた。大学教職員への研修は、教員向けのFD(ファカルティ・ディベロップメント)と事務職員向けのSD(スタッフ・ディベロップメント)の2種類があり、今回記事になっているのはSDの方。自身の勤務校でもそれなりにSDをやっているけど、研修にまつわるお話が本日のテーマ。例によってご関心があれば続きをお読みあれ。

今回のネタ元はこちら。 「大学職員、研修進まず 法務や会計 全員参加6.6%どまり 」 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H8J_R00C15A7CR8000/ リンク先の記事は有料会員でないと読めないため、読者さんからいただいたメールを元に、以下のとおり記事を要約してみる。

大学のガバナンス(組織統治)と人材育成の重要性が指摘されている。 文科省の調査によれば、全事務職員が研修に参加している大学は全体の6.6%だった。 3割超の大学では職員の半数以上が研修に参加していなかった。 研修の内容は、大学関連の法律などの基礎知識系が59.4%で最多、会計や知的財産管理など業務知識・スキル系が48.0%、語学・コミュ力系が39.0%と続いた。大学の中長期的な企画・戦略系は23.3%だった。
さて、自身の勤務校でも事務職員向けの研修(SD)は計画的に行われており、全ての職員が1年に1度は何らかの研修に参加しているハズ。職階別研修は参加必須とされており、それ以外にも部署横断的テーマでの研修などが任意参加で開催されてたりする。 しかしながら、タイトルにも記したとおり、自身は研修というものに消極的。 その第一の理由として、惰性で行われる研修の多さに辟易しているから。 研修というものは、受ける側にとっては学びだけど、提供する側にとっては業務の一つにすぎない。よほど研修を提供する側の意欲が高くなければ、年間行事の一部として惰性的に企画・運営されることになる。 特に注意すべきは「研修をやれば能力が上がる」という論理の飛躍。このような誤解は研修を運営する側に慢心を生じさせ、研修の内容を疎かにする。 以前に受けた研修で酷かったのが、課題解決をテーマとした研修で、講師役のお偉いさんが趣味の話や人生訓などを言い散らかして帰っていったということがあった。もうこんな経験は勘弁ですよ。 第二の理由として、成果を測らない研修など信用できないから。 どのような研修にも、いちおうは「目的」というものがある。業務知識系の研修ならば、業務における正確性・効率性の向上などが目的かと思われる。 その一方で、研修の目的が達成されているか、研修の成果をマジメに測定している大学がどれだけあるだろう。 研修は当然のこと「人への投資」なわけで、時間や費用に見合った成果が期待される。成果を測らない資源投下を投資とは言わず、投資とは言えない資源投下を投機という。 投機的な研修を債権に例えるなら、信用度はCCC(トリプルシー)かと。そんな紙屑的な研修で能力を上げろと言われても、どうして素直に受け取れるだろうか。 第三の理由として、これが最も重要かもしれないけど、研修の内容が楽チンすぎるから。 どのような知識にせよスキルにせよ、一段上の能力を身につけるには努力が必要。自身は英語を勉強しているので、このことは痛いほど身に染みている。 しかし、自身がこれまで受講した研修は、講義形式であれ、グループワーク形式であれ、長時間の拘束に耐えるということ以外の努力を求めるものではなかった。事前課題が膨大だとか、キツくて半数が挫折するような研修など経験したことがない。 努力無くして得るものは無い。楽チンな研修から何が得られるか、推して知るべしである。 日経新聞の記事によると、文科省は研修参加率の低さを嘆いているようだけど、実際に行われている研修の内容にも目を向けてもらいたい。そんな暇は無いから研修参加率でSDの活性度を測ろうとしているんでしょうけどね。 という感じでつらつら書きつつ、次回もよろしくお願いします。

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