先月(4月2日)、財界団体の経済同友会が「これからの企業・社会が求める人材像と大学への期待 ~個人の資質能力を高め、組織を活かした競争力の向上~」という長いタイトルの提言を発表した。その中のごく一部で「大学職員の資質能力向上」という項目があったので、現場の人間としての感想が今日のお題。例によってご関心があれば続きをお読みあれ。
ネタ元はこちら。
これからの企業・社会が求める人材像と大学への期待 ~個人の資質能力を高め、組織を活かした競争力の向上~ http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2015/150402a.html
全文は上記リンクを確認可能。以下では、大学職員に関するくだり(P.16以降)の部分のみ引用し、まことに不遜だとは思われるが、感想などを付けてみたい。 まずは冒頭の一文から。
大学においてこれまで以上に高い資質能力の人材育成が求められるなかで、教員のみならず大学職員の資質能力の向上も不可欠である。
経済活動の変化に対応しうる有能人材の育成が大学の使命だと言いたいのかと。教育について狭量さを感じないでもないが、財界団体の提言なので深く触れないことに。 後半部分についてはそのとおり。アウトプットの質を高めるには、不断の能力研鑽が求められる。
大学職員は本来、学校運営に係る重要な役割を担うべきであるが、その役割を十分には発揮してこなかった。
変なことを言っているわけではないが、一般論の域を出ない。「役割を十分に発揮する」とは具体的にどのような状態を想定しているのだろうか。 教授会に強権を委ねてきた学校教育法の存在と、教学と法人の役割分担という特殊な環境下において、何がどう不十分であったのか。そこを丁寧に紐解かないことには、教員と協業したことのない財界人には本質を垣間見ることすらできないのかなと。
今後は職員に、本来果たすべき役割を発揮できるような場を与えるとともに、職員の資質能力の向上を図り、教員と協力して大学運営に関わっていくことが期待される。
言葉の揚げ足を取るつもりはないが、「場を与える」という言葉が気になってしかたがない。そのような従属的な環境下で、事務職員が自ら主体性を持ち、リスクテイクすることなど可能だろうか。
大学業務は、教学マネジメント、広報、学生募集、産学連携や研究支援、国際化、就職やインターンシップの支援、資産運用等、多岐にわたる。これらの業務を担う職員を専門職として位置づけ、本格的に活用すべきであるが、わが国では教員がこれら業務を兼務したり、専門職員がいても任期制や非常勤のため雇用が不安定で、ノウハウが蓄積されない構造になっている。
先駆的な仕事をしてくために、専門性を磨くことは大いに賛成。専門性が無いことには、毎年同じようにルーチン業務を繰り返すことしかできない。専門性を磨くには年1~2回の集合研修などでは到底物足りず、願わくば、専門性を磨くための時間と経費を大胆に投下していきたい。 一方で、同友会の提言にあるような「専門職」化には懐疑的。典型的な縦割り行政である大学組織で専門職制を推進しようものなら、連携不足による弊害の方が大きいのではないかと。また、専門職制は前例踏襲主義に堕す可能性も懸念される。専門性は必要だが、専門職化はいかがなものかと。
各大学が職員の専門性の重要度を認識したうえで、その専門性が十分に発揮できるよう、職員に対しても成果に応じた処遇を適用し、各職員の長期的なキャリアパスを考えた配置を行うことで、培ったノウハウが組織内で有効に活用できるようにすべきである。
前半部分は年功序列による給与体系を見直せという趣旨かと。毎日定時ダッシュの先輩方より10万単位で月給が低いことには、若手中堅層の多くが口には出さず不満を感じていることだろう。気力・能力ともに備えた40代をピークとする賃金カーブやキャリアパスの構築、早期退職制度の導入などが必要かも。
さらに専門職員については、民間企業のノウハウ、経験が有効に生かされる部分が多いと考えられるため、外部人材を活用しやすい環境を整備していくことが望ましい。
定型的な特定業務のみをこなす専門職員については、施設や財務関係の部署などで経験者を嘱託雇用するケースは多いと思われる。そういうことじゃなくて?ちょっと提言の意図がわかりづらい。 以上、財界団体からの提言を読み込んでみたけど、大学職員の機能発揮に関しては一般論の範疇かなと。身の程知らずにも、そのように思った。ただし、現状横たわっている問題を片付けないことには、誰得にもならないし、自分も幸せになれないので、どげんかせんといかんですね。はい。 という感じでつらつら書きつつ、次回もよろしくお願いします。